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「ボランティアめぐろ」に紹介されました!

「ボランティアめぐろ」は目黒社会福祉協議会の会報で8月に掲載依頼があり取材を受けていたものです。WAASAは外国人の皆さまとのよりよい共生社会を作るため今後も活動して参りますのでよろしくお願いします。

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目黒区ボランティア団体に登録しました

8月19日に目黒区社会福祉協議会のボランティア活動団体に登録しました。今後は目黒区在住の外国人の皆さんの支援にも力を入れていきます。

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鳥かごの雛に餌を運ぶ親鳥

保護したヒヨドリの雛を鳥籠に入れていたら、鳴き声を聞きつけた親鳥が籠の扉から雛に餌を与えている様子です。

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わずか4日間の雛鳥飼育

現在オンライン日本語学習で学習中のVivianさんの心温まる素敵な作文を紹介します。

8月2日:家近くのゴミ集積場のゴミ入れにヒヨドリのヒナが3羽いるのを発見。2羽はまだ生きていましたが、1羽はすでに死んでいました。そのまま放っておくと、残りの2羽も死んでしまう。そこで、2人で救出作戦を開始しました。

8月3日:朝からヒナのために奔走し、まずは鳥かごの購入、そして、釣り具屋で大嫌いな餌となる虫を購入して餌やりを始めました。親のいない小鳥に餌を与えたことは一生で今回が初めてで、私はとてもエキサイトしていました。午後、親鳥らしい鳥が現れ、親子が久しぶりの再会。猫のタマちゃんも大興奮していました。あまりにも感動したので写真を撮ろうとしたら、親鳥が飛んで来てそばでジュウチク チュウチクと大きな声で私を怒り始めたので「ハイハイ~~ごめん、ごめん~」と言って、すぐそそくさとその場を離れました。

8月4日:朝、小鳥のすごい鳴き声がして、何かが違うと思っていたところ、夫が飛ぶ練習でも始めたのかもしれないと言った。
鳥かごを覗いたら、空っぽだった。あちこち見わたしたら地面に落ちていたので、拾って鳥かごに返してあげようとひな鳥を捕まえた時に、親鳥が私を攻撃して来て、ビックリしました。小鳥さん余計なお世話をしてごめんなさいね。

8月5日:朝は静かで、あまり親鳥の鳴き声がしません。こっそり前庭に行って、鳥かごを見てみると親鳥もひな鳥も居なかった。少し寂しいが、親元に戻れてよかったと思う。元気に育つように!心の整理をして、また平常の生活をがんばろう!

動向を見つめるネコさんたち

次のトピックスにひな鳥に餌を与えている親鳥の動画も公開しています。
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令和2年4月~令和3年3月までの決算をお知らせします

令和3年6月20日開催の総会にて令和2年度決算が承認されましたので報告します。

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オンラインで和裁(わさい)を!

WAASA会員の飯島さんがオンラインでリサイクル品を使って素敵(すてき)なティッシュボックスの作り方(つくりかた)を教(おし)えています。

コロナの影響(えいきょう)により和裁教室(わさいきょうしつ)の開催(かいさい)できませんが、ビデオをアップしましたので、あなたもマイ・ティッシュボックス作りに挑戦(ちょうせん)してみてください。詳(くわ)しくは以下のページをみてください。

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WAASAに感謝!

Nacioさんからの英文投稿がありましたので日本語に訳しました。

WAASAが日本でのわたしの生活を正常化するのにどんなに役立ったか:

COVID19のパンデミックの最中に就労契約が終了したときに、私は日本の入国管理局から非常に不安定な個人的、法的、健康的な状況に置かれました。WAASAの中野さんは大変な状況から抜け出し、立ち直るのを大いに助けてくれました。

回復期と在留期限

在留資格が就労契約の終了前に切れるため、就労在留カードの延長を申請しました。しかし、入国管理局からは3か月以上たっても返事が来ず、契約満了の数日後在留カードの更新を認めないとの連絡がありました。

パスポートに「特定活動」のスタンプが押されただけで、3か月間を「帰国の準備」期間として認めるものでした。これはまったく予想外であり、以前に彼らに連絡したときに私が得たすべての情報と矛盾していました。母国のスペインはこの時点でCOVIDの世界的なホットスポットのひとつであり、帰国する予定がなかったこと、また、仕事の邪魔にならないように延期していた病気治療も保留しており、ひどい状況になりました。

 別の仕事を見つけることができませんでしたので、新しい「特定活動」の滞在期間に合わせて、国民健康保険を3か月延長しました。私は病気による手術を受けたため、延長期間の3ヶ月が経過したときは、まだ回復期にあります。私の病状からは、パンデミックで封鎖されている母国に戻った場合、リハビリを完了することができないため、このビザをさらに3か月間延長することができました。

病室からの風景

しかし、「特定活動-帰国の準備」の状況では、在留カードがないため多くの不幸な結果をもたらしました。私はいかなる種類の仕事も許可されず、ハローワークへの登録も禁止されました。国民健康保険の3か月の延長が終了し、市役所は在留カードが必要であるとして国民健康保険の提供を拒否しました。最初の延長はコロナがあったからなされたとのことでした。仕事に応募したり、前職で与えられる失業手当を受け取る可能性もなく、病気回復期で私の生活費用と進行中の術後治療の全費用をカバーすることは大きな負担でした。

思いがけない救世主

私を手術した主治医は、私が余儀なく日本を離れた場合、回復治療が完了できなくなることを非常に心配していました。彼は現在の法的に不安定な状況を安定させるのを手伝ってくれる人を知っていると私に言って、私をWAASAの中野氏に紹介してくれました。中野さんはすぐに私の要求に応え、プロの弁護士からは得られなかったような献身的な姿勢とワープスピードで仕事をするようになりました。

まず、法規制を調べてみると、住民票に登録されていたので実際には国民健康保険に加入できることがわかりました。彼は何度か市役所に電話をかけてくれ、翌日、私は市役所に行き、新しい健康保険証を入手でき、過去2か月間に自己負担を余儀なくされたすべての費用を請求することができました。

次に、彼は私が在留カードを取得する方法と、私が「特定活動-帰国準備期間」で許可された不安定な月数を超えて私の在留を延長しながらパートタイムで働く可能性を考案しました。中野さんは、私の術後の医療処置には手術を行ったのと同じ医師による9ヶ月のフォローアップが望ましいと明確に述べられている日本の公式情報源からの文書を見つけました。彼は私が国に戻るのが難しいことから、ステータスを変更するために法務省に申請書を書きました。その中で私が母国に帰ったらリハビリと術後フォローアップが十分にできないこと、私の病状とコロナウイルスのパンデミックのために、母国への旅行自体が難しいだろうと主張しました。申請書はまた、私が9ヶ月間助けも雇用もなしに経済的に自分自身を維持することを期待するのは負担が大きすぎると付け加えました。

結果の緩和

中野さんは、申請書類を作成するだけでなく、入国管理局に同行してくれ、入国管理局の職員に状況を日本語で説明しました。説明等の手続きが完了した後、私は家に戻って解決を待つ必要さえありませんでした。数時間以内に、私のステータスは「特定活動」ビザの別のカテゴリーに変更されました。

その結果、有効期間6ヶ月の在留カードとアルバイトの許可を取得しました。それで翌日ハローワークに求職登録することができ、治療をしている間、また、パンデミックの試練の時を乗り切るのに役立つ失業手当を受け取ることができました。

中野さんに会うことで、とても楽になりました。彼と主治医にとても感謝しています。

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日本に戻れない私の試練

日本に再入国するのに外国で立ち往生するのは楽しいことではありません。私は2010年10月から東京に住み続けていますが、今回所要がありアメリカに一時帰国しましたが、日本に再入国できませんでした。

ロサンゼルス

私は2020年3月1日にカリフォルニア州ロサンゼルスに到着しました。そして、アメリカ滞在中の2020年6月28日に在留カードが切れたので、日本への入国は難しくなりました。日本の入国審査はアメリカを含む多くの国からの入国を間もなく禁止する予定でしたが、帰えれなかったのは、在留カードが切れたからでした。

なぜカードの有効期限が切れたのでしょう?実は私は日本の出入国管理局が発表した情報を読んで、コロナの影響でビザの更新期限が3ヶ月延長されると思いました。しかし、中野氏(WAASAのチーフディレクター)が発見したように、3ヶ月の延長は、現在日本にいる住民に対してのみ認められ外国にいる住民には認められていませんでした!これは入国管理局での過密を防ぐためでした。

ロサンゼルスの日本領事館へ更新期限の延長を申し出ましたが、訴えは認められませんでした。彼らは私のカードの有効期限が切れたので、何もできないと言いました。入国管理局との交渉もうまくいきませんでした。

ハワイ

ロサンゼルス空港でホノルルへのフライトを待っています

しかし、日本はハワイからの訪問者を間もなく許可する可能性が強いと言われたので、私はそこに行くことにしました。ハワイには9月1日に到着し、2週間自己隔離しました。ホノルルの日本領事館と相談しましたが、日本に戻れる可能性はまだほとんどないようでした。日本人観光客は間違いなく日本に入ることができますが、特別な事情がない限り、外国人は禁じられていました。

日本への入国許可を待っている間にオアフ島を楽しくことができました!

この時点で、私は中野氏に私の苦境を説明しました。中野氏が法務省出入国管理局や外務省を訪問し、上層部の職員と話をした結果、日本に戻る道につながる可能性のある方法を見つけ出すことができました。以下に私が従わなければならなかった手順があります。

在留資格認定証明書交付申請の代理人がいない場合等の入国について

この手順は廃止される可能性があることに注意してください。日本語で書いてあることにもご注意ください。私は、その文書の英語版があったかどうか思い出せません。

ビザ申請の最も重要な要素は、私の状況と日本への帰国の必要性を説明する個人的な声明である申立書でした。最初の草稿を日本語で書き、それをホノルルの領事館に提出してレビューを行いました。彼らはより詳細を尋ねたので、中野さんと一緒に、私は文書を洗練しました。領事館は私の申立書を受け入れ、外務省に提出しました。2週間後、私はビザを与えられました。

私は、申立書が日本語で書かれていたことがとても重要だったと思います。どうやらホノルルの日本領事館は英語で受け付けた申立書)を日本語に翻訳しているのでしょうが、その翻訳の質は中野さんと私が書いたものと同じくらい良いものになっていないのではないかと思います。ネイティブ日本語でコミュニケーションを取ることは、「物事を実現する」方法です。

グアム

その時はホノルルから東京への直行便はなく、ほとんどのフライトはアメリカ本土に戻り、その後東京に行く便でした。無駄だと感じたので、グアム経由で成田に行く便を選びました。厳しい検疫で一晩のレイオーバーがありました。検疫は、アメリカ陸軍と州兵のグアム派遣部隊によって十分に管理されていました。

検疫サイトに指定されたグアムホテルでのチェックイン

東京, 日本

10月16日に日本に到着し、日本の入国審査官のインタビューを受けました。私は入国を禁じられる可能性があるように思えたので、これには神経質でした。私は彼らに再入国の承認の理由を理解する必要があると説明しましたが、残念ながら、土曜日だったので、私の事件を処理した外務省職員は仕事しておらず、外務省のコンピュータシステムにリモートでアクセスできませんでした。私のケースは、実際には私が説明したものよりも微妙でした。

私のコンピューターに、中野さんと私が書いた申立書を保管していましたから、これを見せました。これにより、成田の入国管理官に多くのことを明確化することが出来ました。私は彼らにWAASAのウェブサイトを見せました。コンサルティングを行った日本企業のウェブサイトを見せてあげました。そのすべてを見て、彼らは私が日本に戻る正当な必要性があると確信し、その場で1年間の有効期間を持つ新しい在留カード(長期居住者ステータスを持つ)を与え、より長い有効期間を再申請するのに十分な時間を与えました。

成田のホテルで2週間隔離され、ハロウィーンの10月31日に公共交通機関を利用して家に帰りました。

日本で検疫中の典型的な食事

後から考えると、WAASAの中野氏の助けを借りずに同じレベルの明快さな日本語で書くことができなかった申立書でした。

竹村ポール

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決算公告を掲示しました

令和2年3月期の決算公告を事業概要に掲示しました。
http://waasa.net/事業概要/

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特定技能職への就職決定

12月4日

かねてより相談を受けていました名古屋在住の元技能実習生で特定技能へ資格変更したTさんから、応募していた大阪の金属加工会社への最終面接に合格したとの連絡がありました。
前回は千葉の会社に特定技能職として就職後、社内人間関係や就労条件相違によりすぐに辞めざるを得ない状況になったので、今回は連携を取りながらフォローしていきたい。