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WAASAに感謝!

Nacioさんからの英文投稿がありましたので日本語に訳しました。

WAASAが日本でのわたしの生活を正常化するのにどんなに役立ったか:

COVID19のパンデミックの最中に就労契約が終了したときに、私は日本の入国管理局から非常に不安定な個人的、法的、健康的な状況に置かれました。WAASAの中野さんは大変な状況から抜け出し、立ち直るのを大いに助けてくれました。

回復期と在留期限

在留資格が就労契約の終了前に切れるため、就労在留カードの延長を申請しました。しかし、入国管理局からは3か月以上たっても返事が来ず、契約満了の数日後在留カードの更新を認めないとの連絡がありました。

パスポートに「特定活動」のスタンプが押されただけで、3か月間を「帰国の準備」期間として認めるものでした。これはまったく予想外であり、以前に彼らに連絡したときに私が得たすべての情報と矛盾していました。母国のスペインはこの時点でCOVIDの世界的なホットスポットのひとつであり、帰国する予定がなかったこと、また、仕事の邪魔にならないように延期していた病気治療も保留しており、ひどい状況になりました。

 別の仕事を見つけることができませんでしたので、新しい「特定活動」の滞在期間に合わせて、国民健康保険を3か月延長しました。私は病気による手術を受けたため、延長期間の3ヶ月が経過したときは、まだ回復期にあります。私の病状からは、パンデミックで封鎖されている母国に戻った場合、リハビリを完了することができないため、このビザをさらに3か月間延長することができました。

病室からの風景

しかし、「特定活動-帰国の準備」の状況では、在留カードがないため多くの不幸な結果をもたらしました。私はいかなる種類の仕事も許可されず、ハローワークへの登録も禁止されました。国民健康保険の3か月の延長が終了し、市役所は在留カードが必要であるとして国民健康保険の提供を拒否しました。最初の延長はコロナがあったからなされたとのことでした。仕事に応募したり、前職で与えられる失業手当を受け取る可能性もなく、病気回復期で私の生活費用と進行中の術後治療の全費用をカバーすることは大きな負担でした。

思いがけない救世主

私を手術した主治医は、私が余儀なく日本を離れた場合、回復治療が完了できなくなることを非常に心配していました。彼は現在の法的に不安定な状況を安定させるのを手伝ってくれる人を知っていると私に言って、私をWAASAの中野氏に紹介してくれました。中野さんはすぐに私の要求に応え、プロの弁護士からは得られなかったような献身的な姿勢とワープスピードで仕事をするようになりました。

まず、法規制を調べてみると、住民票に登録されていたので実際には国民健康保険に加入できることがわかりました。彼は何度か市役所に電話をかけてくれ、翌日、私は市役所に行き、新しい健康保険証を入手でき、過去2か月間に自己負担を余儀なくされたすべての費用を請求することができました。

次に、彼は私が在留カードを取得する方法と、私が「特定活動-帰国準備期間」で許可された不安定な月数を超えて私の在留を延長しながらパートタイムで働く可能性を考案しました。中野さんは、私の術後の医療処置には手術を行ったのと同じ医師による9ヶ月のフォローアップが望ましいと明確に述べられている日本の公式情報源からの文書を見つけました。彼は私が国に戻るのが難しいことから、ステータスを変更するために法務省に申請書を書きました。その中で私が母国に帰ったらリハビリと術後フォローアップが十分にできないこと、私の病状とコロナウイルスのパンデミックのために、母国への旅行自体が難しいだろうと主張しました。申請書はまた、私が9ヶ月間助けも雇用もなしに経済的に自分自身を維持することを期待するのは負担が大きすぎると付け加えました。

結果の緩和

中野さんは、申請書類を作成するだけでなく、入国管理局に同行してくれ、入国管理局の職員に状況を日本語で説明しました。説明等の手続きが完了した後、私は家に戻って解決を待つ必要さえありませんでした。数時間以内に、私のステータスは「特定活動」ビザの別のカテゴリーに変更されました。

その結果、有効期間6ヶ月の在留カードとアルバイトの許可を取得しました。それで翌日ハローワークに求職登録することができ、治療をしている間、また、パンデミックの試練の時を乗り切るのに役立つ失業手当を受け取ることができました。

中野さんに会うことで、とても楽になりました。彼と主治医にとても感謝しています。

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日本に戻れない私の試練

日本に再入国するのに外国で立ち往生するのは楽しいことではありません。私は2010年10月から東京に住み続けていますが、今回所要がありアメリカに一時帰国しましたが、日本に再入国できませんでした。

ロサンゼルス

私は2020年3月1日にカリフォルニア州ロサンゼルスに到着しました。そして、アメリカ滞在中の2020年6月28日に在留カードが切れたので、日本への入国は難しくなりました。日本の入国審査はアメリカを含む多くの国からの入国を間もなく禁止する予定でしたが、帰えれなかったのは、在留カードが切れたからでした。

なぜカードの有効期限が切れたのでしょう?実は私は日本の出入国管理局が発表した情報を読んで、コロナの影響でビザの更新期限が3ヶ月延長されると思いました。しかし、中野氏(WAASAのチーフディレクター)が発見したように、3ヶ月の延長は、現在日本にいる住民に対してのみ認められ外国にいる住民には認められていませんでした!これは入国管理局での過密を防ぐためでした。

ロサンゼルスの日本領事館へ更新期限の延長を申し出ましたが、訴えは認められませんでした。彼らは私のカードの有効期限が切れたので、何もできないと言いました。入国管理局との交渉もうまくいきませんでした。

ハワイ

しかし、日本はハワイからの訪問者を間もなく許可する可能性が強いと言われたので、私はそこに行くことにしました。ハワイには9月1日に到着し、2週間自己隔離しました。ホノルルの日本領事館と相談しましたが、日本に戻れる可能性はまだほとんどないようでした。日本人観光客は間違いなく日本に入ることができますが、特別な事情がない限り、外国人は禁じられていました。

この時点で、私は中野氏に私の苦境を説明しました。中野氏が法務省出入国管理局や外務省を訪問し、上層部の職員と話をした結果、日本に戻る道につながる可能性のある方法を見つけ出すことができました。以下に私が従わなければならなかった手順があります。

在留資格認定証明書交付申請の代理人がいない場合等の入国について

この手順は廃止される可能性があることに注意してください。日本語で書いてあることにもご注意ください。私は、その文書の英語版があったかどうか思い出せません。

ビザ申請の最も重要な要素は、私の状況と日本への帰国の必要性を説明する個人的な声明である申立書でした。最初の草稿を日本語で書き、それをホノルルの領事館に提出してレビューを行いました。彼らはより詳細を尋ねたので、中野さんと一緒に、私は文書を洗練しました。領事館は私の申立書を受け入れ、外務省に提出しました。2週間後、私はビザを与えられました。

私は、申立書が日本語で書かれていたことがとても重要だったと思います。どうやらホノルルの日本領事館は英語で受け付けた申立書)を日本語に翻訳しているのでしょうが、その翻訳の質は中野さんと私が書いたものと同じくらい良いものになっていないのではないかと思います。ネイティブ日本語でコミュニケーションを取ることは、「物事を実現する」方法です。

グアム

その時はホノルルから東京への直行便はなく、ほとんどのフライトはアメリカ本土に戻り、その後東京に行く便でした。無駄だと感じたので、グアム経由で成田に行く便を選びました。厳しい検疫で一晩のレイオーバーがありました。検疫は、アメリカ陸軍と州兵のグアム派遣部隊によって十分に管理されていました。

東京, 日本

10月16日に日本に到着し、日本の入国審査官のインタビューを受けました。私は入国を禁じられる可能性があるように思えたので、これには神経質でした。私は彼らに再入国の承認の理由を理解する必要があると説明しましたが、残念ながら、土曜日だったので、私の事件を処理した外務省職員は仕事しておらず、外務省のコンピュータシステムにリモートでアクセスできませんでした。私のケースは、実際には私が説明したものよりも微妙でした。

私のコンピューターに、中野さんと私が書いた申立書を保管していましたから、これを見せました。これにより、成田の入国管理官に多くのことを明確化することが出来ました。私は彼らにWAASAのウェブサイトを見せました。コンサルティングを行った日本企業のウェブサイトを見せてあげました。そのすべてを見て、彼らは私が日本に戻る正当な必要性があると確信し、その場で1年間の有効期間を持つ新しい在留カード(長期居住者ステータスを持つ)を与え、より長い有効期間を再申請するのに十分な時間を与えました。

成田のホテルで2週間隔離され、ハロウィーンの10月31日に公共交通機関を利用して家に帰りました。

後から考えると、WAASAの中野氏の助けを借りずに同じレベルの明快さな日本語で書くことができなかった申立書でした。

竹村ポール

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決算公告を掲示しました

令和2年3月期の決算公告を事業概要に掲示しました。
https://waasa.net/事業概要/

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特定技能職への就職決定

12月4日

かねてより相談を受けていました名古屋在住の元技能実習生で特定技能へ資格変更したTさんから、応募していた大阪の金属加工会社への最終面接に合格したとの連絡がありました。
前回は千葉の会社に特定技能職として就職後、社内人間関係や就労条件相違によりすぐに辞めざるを得ない状況になったので、今回は連携を取りながらフォローしていきたい。

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在留カード期限延長

12月3日

フィリッピンから特定活動の資格で在留しているEさんは、12月11日で在留期限が来ますが、現在高度人材職への資格変更の手続きを行っており、期限までに承認されるか不確実でした。Eさんからの相談を受け、所属している法人等の協力を得ながら東京入国管理局にアドバイスを頂き、ひとまずEさんの期限延長申請を認めていただきました。帰国を覚悟していたEさんには大変喜んでいただけました。

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第1回「FIELD TRIP」を開催しました!

11月19日

FIELD TRIPを江戸風情が残る江東区深川界隈で開催しました。今回は深川で生まれ育った協会メンバーの須藤さん、それに米国人メンバーのポールさんが19日の午後から夕方にかけて夕食付きで深川を散策しました。以下に須藤さんの深川散策レポートを掲載します。なお、WAASAではコロナの状況を見ながら適切な時期にこの散策コース*を皆様に楽しんでいただけるよう検討中です。(*散策コースをクリックすると予定イベントがみれます)

須藤さんのレポート
今回は、清澄白河駅(半蔵門線、大江戸線)で集合しまず向かった先は深川芭蕉庵(俳聖 松尾芭蕉記念館)。芭蕉に係る歴史、作品集、時代背景を楽しむ事が出来ます。
次に芭蕉稲荷を通り隅田川沿いを歩き新大橋、清洲橋を臨み対岸の浜町風景を眺めながら万年橋を通って、相撲部屋が集まる清澄町に。ここには現在、高田川部屋、尾車部屋、大嶽部屋、錣山部屋の4部屋が在ります。時間的に稽古を観る事は出来ません。
少し前までは一代横綱、大鵬部屋、北の湖部屋も在りました。国技館に近いことから、昔から多くの力士が住んでいて、相撲が近くに感じられる場所です。
次に向かった先は、清澄庭園。ここは、回遊式林泉庭園として知られ、三菱財閥で知られる岩崎弥太郎が改修し東京都に寄贈し、現在に至っています。日本各地から集められた「石」で庭、池が形作られていて、季節によって様々な姿を見せてくれます。東側にも公園拡張整備され都民の憩いの場となっています。

次に俳句の小径(現在は工事中)、伝統的建物である深川図書館を通って深川江戸資料館を訪問します。ここには江戸時代の深川庶民の生活様式を忠実に再現したスペースがあり、江戸時代にタイムスリップした感じにさせてくれます。また、ボランティアの説明を受けることも可能で、外国人も楽しめる施設となっています。現在、この地区で活躍している伝統工芸の紹介映像も楽しめると同時に興味のある伝統工芸者を訪ねる事も可能になります。

この後、深川一番の繁華街、門前仲町に行く途中、ブルーボトルで一寸コーヒーブレイク。焙煎設備を完備した、一杯、一杯ドリップするコーヒー提供で人気のお店です。他にもいろいろなコーヒー店があるので、好みに合った店を探すのも楽しみになります。

次に江戸最大の八幡さま、富岡八幡宮へ。皇室との関連が強く神輿が皇居に参内したり、天皇皇后両陛下が神輿渡御を見学に来られる等の歴史を持ち、江戸三大祭りに挙げられています。3年に一度(8月)行われる神輿の連合渡御は、50数基が練り歩く勇壮な祭りとして有名です。境内の神輿蔵には、日本最大の一ノ宮神輿と二ノ宮が展示されています。又、勧進相撲の発祥の地として、歴代横綱力士碑、大関力士碑が有り、新横綱の奉納土俵入りが行われます。

最後に「深川のお不動様」と知られる深川不動尊に向かいます。深川不動尊は、成田山新勝寺の東京別院です。毎日護摩焚き行を行っており、寺院内に入り見学する事が出来、厄除け、交通安全のお札を頂きに来る人で人気の場所です。不動尊に隣接する人情深川ご利益通り含めて多くの店が商いをしており、用途に応じて色々な楽しさがある街で「下町情緒」を感じさせてくれます。

第1回 フィールドトリップ 深川編のご案内はいかがでしたか?
是非ご一緒に深川でのフィールドトリップを楽しみましょう。

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オンラインサポートにフィリッピン人が参加

11月25日

オンライン日本語学習サポートにフィリッピンから高度人材で来日しているEさんが11月22日、23日に参加しました。Eさんは日本に来て10年ぐらいたちますが仕事がら話す言葉は英語ばかりで日本語を話す機会は全くありません。そのため、日本での生活をより楽しくするために日本語を習得したいと思っています。サポーターは米人メンバーのPさんです。テキストは【学び、知って、使う!生活に必要な日本語】を使ってまず自己紹介、そしてひらがなを学習しました。Eさんはやる気がありますのでどのくらい日本語が覚えられるか楽しみです!

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特定技能職への転換相談

10月16日

ベトナム人技能実習生Lさんの友人Tさんは名古屋で技能実習生2号を終え、10月に金属加工業の特定技能職へ変換し千葉県の会社に就職した。しかし、就職後1週間で人間関係(ベトナム人の友人の話によると職場内のいじめ)がもとで会社をやめた。Lさんから再就職先についてアドバイスをしてほしいとの依頼を受け電話にて状況を確認。辞めた理由を聞いたが「最初に聞いていた仕事内容・待遇が実際と大きく違っていた」のでやめたとのこと。友人に話していた職場でのいじめについてはコメントがなかった。ひとまず名古屋外国人雇用サービスセンターに相談に行くようアドバイスしたが、今のところ同センターからは有力な紹介はないとのこと。引き続きインターネットでの求人情報と合わせて求職活動をするようアドバイスしている。

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在留資格期限切れに伴う再入国について

10月28日

定住資格がある日系3世のアメリカ人のTさんは急用のため3月にアメリカに一時帰国した。滞米中に在留資格の更新期限迫ってきたが、5月12日に出入国在留管理庁から在留カードの更新月が延長されるとの文書(添付文書1)が出ため、引き続きアメリカに滞在していた。ところが住民票が削除されていることから在留カードが失効していることが判明し、期限延長について出入国管理庁に問い合わせしたところ、本文書は海外にいる外国人は対象ではないとの回答であった。なお、文書にはそのことは明記されていない。事情を説明し交渉したが、貴重なご意見として承り今後の参考にするとのことで、在留資格更新は認められないとのこと。 その後、定住資格復活に向けて多方面に確認したが、失効した在留資格は復活できないとの結論に至り、高度人材および日系3世の2本立てで入国手続きの申請を上げることにし、9月14日に東京出入国管理局に申請した。その結果は、日系人については日本に許可に必要な親戚がいない、法人については給与が支払われていないとの理由で双方とも却下された。しかし、東京出入国管理局で多部署に日系3世の定住資格がありコロナの事情で帰国できないこと、また、先述した文書のことも再三にわたり説明したところ、ようやく出入国審査課の担当課長より8月12日の文書(添付文書2)が出ておりこれを根拠に入国できるのではとのアドバイスがあった。本省ではこのようなアドバイスがなかったため再度本省に確認したところ確かに本文書で入国が可能であるとの返事があった。これを受け、9月21日にハワイの日本領事館経由で外務省に入国申請し、ようやく10月8日に入国ビザがおり、入国後成田の入管審査で定住資格が認定された。本文書の存在は本省、東京出入国管理局の内部でも周知されていなかったため、担当課長のアドバイスがなかったら帰国が難しかった可能性が大であった。再入国は本人にとって大変重要な問題であり、本文書が周知されていたら8月には帰国できたはずである。当局がコロナ禍対応で多忙であることは承知しているが、文書等の徹底をお願いしたい。また、同じような問題を抱えている方は参考にされたい。

文書1

文書2

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東京でフォー・生春巻きを味あう

10月3日

ベトナムからの技能実習生Lさんの招きで手作りのフォー、生春巻きをごちそうになりました。 Lさんは調理がうまく、材料はすべて国産ですが味は本場ものそのものでした。ごちそうさまでした。